スタジオ訪問 | AKO DOMAE

スタジオ訪問 | AKO DOMAE

陶芸作品の制作をされているAKO DOMAEさん。北海道函館市の港の近くにあるアトリエにお伺いしました。彼女の作品が生まれる背景を覗いてみましょう。

作品はこちら

陶芸家として活動を始めるまで

北国で過ごした幼少期から大学時代

ーー陶芸家として活動を始めるまでに函館市、秋田市、瀬戸市、シドニーなど色んな都市に住まれていますが、それぞれの土地で感じたことや、作品作りで影響を受けたことなどありましたら教えてください。

函館は地元で、子供の頃から陶芸家である父の仕事を見てきたのですが、実際にそれを仕事にしようとはその時点では全然思ってもいませんでした。こういう職業があるんだな、くらいに思っていました。それでも芸術系の大学に行こうと思い、秋田の美術短大に行きました。

アトリエはAKOさんのお父様とお母様で運営されている工芸ギャラリー、はこだて工芸舎の奥にあります。
ギャラリー奥のカフェスペース。中庭に面した静かで美しい空間。

そこでは工芸コースを専攻したのですが、私は陶芸を選ばずに、彫金を選びました。なんとなくアクセサリー作りに憧れがあったので。彫金は楽しいのですが、何か道具を介して素材を触る必要があって、 直接手で触れて形を変えることができないんですよ。

子供の頃から馴染みのある素材の一つである粘土と金属を比較して、直接手で触って形を作る方が、自分は得意なんだろうなって感じました。

お父様が作られた小机。函館の建築物が描かれたタイルが施されている。かわいい。

瀬戸市で再び学生生活

私は生まれは愛知県瀬戸市なので、そこに戻るのもいいかなと思って。父に勧められて瀬戸市の陶芸の学校に行くことにしました。

学校生活自体が久しぶりで、すごく楽しかったです。学生の年齢の幅がとても広く、中学を卒業してすぐ入ってきた若い子から、会社を辞めて入ってくる30代の人、リタイアした60代のおじいちゃんまで、陶芸をやってみたい人が学びに来る学校だったので、学校自体がとても面白かったです。もちろん、大変なこともありましたよ。北海道から来ているので、 慣れない暑さとか。笑

お父様の作品
お母様の作品

オーストラリアに渡る

その後、当時オーストラリアの陶芸家の元で働いていた学校の先輩から、帰国するから後任として働いてみない?とお声がかかりました。すぐに行きます!と返事をして急いでパスポートなど渡航の準備をしたり、ちょっと英会話教室に通ったりして、オーストラリアに渡りました。

お父様、AKOさん、たまにお母様、三人で使われているアトリエ。

それでシドニーでMalcolm Greenwood(マルコム・グリーンウッド)という作家さんの元でアシスタントとして働くことになりました。わびさびをテーマにして制作されている方で、料理を引き立たせるような器を作って、シドニーのカフェや、ちょっと高級なワインダイニングや星がついてるようなレストランに卸している作家さんです。そこでは瀬戸で勉強したことがとても役に立ちました。

マルコムのお家もそうなんですけど、家にオブジェが普通に飾ってあるのは素敵だなと思いました。人を呼んでホームパーティーをする文化の影響もあるとは思うのですが、日常的に絵やオブジェを飾っている様子から豊かさを感じました。

私が今作っているオブジェやキャンドルスタンドなどは、オーストラリアでの生活に影響されているかなと思います。

東京のアートギャラリーで働く

1年ほどアシスタントをした後に帰国して、しばらく東京にいました。函館から見ると東京は憧れの地で、いつかは住んでみたいなと思っていたので。東京では、現代アートのギャラリーで働いていました。アートは元々好きでしたし、この仕事に憧れがあったので。

土の中にある空気の反発を手で感じながら、オブジェの形を作っていく。

再び函館に戻り制作をスタート

私には函館に制作するための環境があったので地元に帰って、さあやるぞっていう感じで陶芸作品の制作を始めました。

戻ってきたのが2020年の1月か2月なのですが、ちょうどパンデミックで外出できない時期だったので、家にこもってすごく作業にも集中できました。短期間で集中して制作できたからこそ、今の作品の形になったのかなと思います。他に楽しいことがあったら、ここまで集中できなかったかもしれないと思いますね。

しじみの殻の山。高台のない作品の下に置いて釉薬が板に付着することを防ぐために使われている。

インスピレーションの源

ーー何かを見てこれを作ろうとか、そういうきっかけとなる物事はありますか?

函館に戻ってきて制作を始めようとした際に、最初は何を作るか、なかなか思いつかなかったんですよ。私も作家さんの作品を集めるのは好きだったのですが、買う側だったので。

でもある日、港の近くにあるスタバの裏を歩いていたら、魚がちゃぽんって飛び跳ねたんですよ。空飛ぶ魚だと思いました。ちゃぽん、と飛び跳ねて海に戻っていくことで波紋ができて、しかも月が出ている日だったので、それがとても印象に残りました。

枯山水のお庭が好きなのもあり、それがきっかけで波紋をモチーフにした作品を作るようになりました。

そこから派生させて、波みたいな、もふもふっとした形のものを作ったり。それが最初のきっかけですね。

子供の頃から函館に住んでいましたが、今まで空飛ぶ魚の風景には気付いてないませんでした。母は昔からそれが好きだったらしいので、一緒に見ていたはずなのですが、当時の自分の心には響いていなかったんでしょうね。笑

東京から帰ってきて、改めて函館は海も山も近くて、他にはないすごく良い街だなって思うようになりました。

家族全員で集めた石や海の漂着物

あとは石拾いかな。子供の頃から自然の中に行くことが多くて、変わった形の石だけでなく、貝やイカの骨など、なんだこれって思う形のものを拾うことが好きです。

自分が面白いなと思うのは自然の造形物が多いと思います。最近は野菜にも興味があります。パプリカや玉ねぎなどの形には驚かされます。育てている多肉植物もそうですね。

あとは人工物もあります。例えばお正月に飾った鏡餅を見て、段々の形状をかわいいなと感じて、そこからお餅をモチーフにしたお香立てを作ったり。

ーー身近なところでヒントを見つけるのっていいですね。

大人になって函館に戻ってきたからこそ、今まで気付くことのできなかった良さを再発見できるようになったことは大きいと思いますね。

制作の面白さと難しさ

手を動かしている時って本当に楽しいので、今は仕事しかしていないのですが、やっぱり展示会前になったときの感情の波に大変さを感じます。私は基本的に感情に波がないと思ってきたのですが、陶芸に真剣に取り組むようになってから、うまく出来たとき、出来ない時の自分の感情の起伏の大きさに驚きました。

制作中は自分で作るものを可愛いなって思えるポジティブなタイプなんですけど。笑 いざ人の前で見せることになったら、これで大丈夫かな...とすごく心配になったり。そういう気持ちの面での大変さはあります。

今まで真剣に一つのことに打ち込んだ経験があまりなくて、幅広くある程度それなりにっていう感じでやってきたので、新しい自分の感情の動きには戸惑いましたね。

作る時に大切にしていること

粘土の持つ柔らかさを残したまま作りたいなと思っています。粘土って焼く前までは基本的に柔らかく、焼くと硬いものになる。焼く前の自由な柔らかさを残したいという気持ちがあって、私の作品は基本的に尖った形はあまりないと思います。例えば高台の部分も敢えて高台を作らずに、なだらかな形を残すことを意識しています。

瀬戸市の学校で陶芸の勉強をしていた時期に感じたことがあって。瀬戸って量産品のイメージが強いと思うのですが、その学校では同じ湯呑みを100個作るという課題があったんですよ。

技術を磨くにはとてもいい勉強になったのですが、自分が機械になったような気持ちになって、同じ形を作り続けることはあまり好きではないと思いました。自由に作ることが好きだと気づくきっかけになりました。

人の手の大きさもみんな違いますし、持った時の感じ方も違うので、かっちり同じ形じゃなくてもいいんじゃないかなと思っています。

お父様手作りの素敵な器とお母様手作りの美味しいケーキ。函館に行かれる際はぜひ、はこだて工芸舎のカフェにも足を運んでみてください!
Profile photo credit 2023, AKO DOMAE

AKO DOMAE

愛知県瀬戸市生まれ、北海道函館市育ち。陶芸家の父の影響で粘土は幼少期の遊び道具の一つ。秋田公立美術工芸大学(現 秋田公立美術大学)を卒業後、瀬戸市の愛知県立窯業高等技術専門学校にて陶芸を学ぶ。その後オーストラリアの陶芸家のもとでアシスタントを経験。現在は函館市にて作陶。

作品はこちら

@ako_studio_
akodomae.com